観音寺について

『みんなのお寺』観音寺住職よりご挨拶

観音寺住職 龍空義天

この度は観音寺ホームページに
御訪問くださり、誠にありがとうございます。
開かれた仏道を目指す『みんなのお寺』観音寺の由来や活動を
少しでも多くの方に知って頂きたいという「想い」から、
観音寺ホームページを開設致しました。

この「仏縁」により皆様が仏教や観音寺について
興味や関心を持っていただくと共に、仏縁に出逢う機会、
何かしらのキッカケとなってくだされば幸いであります。


私は、これまでファッションデザイナーとして
国内外で沢山の活動をしてきました。
特にフランスでの生活が長く、日本を客観的に見るなかで
仏教の大切さや報恩謝徳、感謝の心に気づかされました。

寺院という存在が、仏縁を繋げ、絆を結んでいくことができるような
皆様方の心を癒す円満な場所となることを純粋に目指し、
今後、皆の為に利他精神の基、より一層精進します。

合掌礼拝

観音寺 住職 龍空義天(ファッションデザイナー 永澤 陽一)


慈眼山 観音寺前住職 永澤義精(法尼)の略歴

昭和四年 京都生まれ
十六歳の時に結核を患い、出家を決意。
知恩院山門前にあった(現在廃校の)尼寺専門寮に入信後、
京都西山短期大学にて勉学。
昭和三十年、東山五条金光院にて法務。
昭和四十五年、高槻観音寺に入山。
戦後、無住で廃寺寸前であった観音寺を再興し、阿弥陀堂など建立する。
平成二十五年、高齢の為、住職を永澤義天(甥の永澤陽一)に譲る。

【僧名 慈空義精上人敬道法尼】


院代 純空壮宏よりご挨拶

院代 純空壮宏

仏教興隆、寺院再生を理念として同入和合海、利他精神の基、
僧侶力を復活させていきます。

江戸時代からの檀家制度が崩壊していく中で、
無住寺を一人の僧侶が他寺兼務をする従来の考えではなく、
一つの無住寺を皆(サンガ)で護っていく新しい発想、
新しい試みです。

既存の寺院

既存の寺院 イメージ

ひとりの住職が兼務

従来の兼務システム、
既存の仕組みでは一人の住職が
無住寺を何ヵ寺も兼務していました。

この仕組みだと
無住寺はいつまでも無住寺で発展しない為、
いつかは廃寺になってしまいます。
(キズに絆創膏を貼ってるだけ)

未来の寺院

未来の寺院 イメージ

複数寺院で無住寺をサポート

未来の寺院維持運営方法は、
無住寺を皆(僧侶と地域)で護っていく仕組み。

このシステムにより、
ひとりで何ヵ寺も護る労力より
皆で護る方が負担が少なく、
その無住寺院が活きてきます。

そして、各寺院僧侶がサポートし、
サポーター(信者、縁者)を集めていけば、
その無住寺院の運営基礎を固めることができ、
新住職を誘致できる可能性があります。

寺院に何を求められているかを時代の流れを読み取り、
社会のニーズを把握しながら皆で智慧を出し合い、
僧侶と地域が力を結び、無住寺を廃寺にしない
寺院維持運営方法の新しい仕組みを作ります。

昔からその村を護ってきた仏様を未来永劫これからも護っていく為、
最善のアイディアを捻出すること、どう動けば良いかを実施すること、
それが実践僧侶塾の役割、役目なのです。

明眼利生 合掌